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オオカミとヒツジ 8

オオカミとヒツジの話となると
うそつき少年の話になりそうだがそうではない

昔あるテレビ番組であなたは「オオカミの皮を被ったヒツジ」
ですかそれとも「ヒツジの皮をかぶったオオカミ」ですか?
とゲストに聞いていた

これは恋愛に対しての問いみたいだけど
肉食系とか草食系なんて言葉が世に出る前の事だと思う

仕事の姿勢を分ける事にも使えると感じた

私の答えは「オオカミの皮を被ったヒツジ」です

外面の良いヒツジさんを装い取って食おうとするオオカミは
この世に存在しているし増えていると思う

しかし、常に厳しく接しオオカミのような牙をむけてきても
大切な時にヒツジの毛のように温かく包んでくれる人は
少ない上に減っていると思う

昔のように真剣に子供達のために叱り、
守ろうとする親が減り、
効率性を重視し人間性を重んじない理念が基礎となり
また、それが成立してしまう世の中になっている事

オオカミは本当は孤独なのです
ヒツジのように皆で集まり温まり暖を取る事などしない

人の本質がヒツジである事と願いたい

オオカミはヒツジを食べ続けないと死んでしまう
でも、オオカミのようにふるまっても本当はヒツジなら
我慢できるはずです

また、まとまらない
でも、紙で出来たキバをつけてるヒツジくらいでいたいんだ
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テーマ : ひとりごとのようなもの
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「損して得とれ」について 7

「損して得とれ」は商売の基本理念のように用いられるがいつも疑問に思う

「損して得とれ」は持つべきか?

私の答えは「いいえ」です

元々「損をする」という考え方がどうなのか?

なんて事言ってる人もいるだろうが

私の場合は「得をする」という考え方が何とも腑に落ちない

つまり「得をすると分かっているから損をする」ということ

「損をしても得をするかわからない」だったら賛成できます

私がイメージしやすい例だと

得意先のお客さんを接待をする=損をする

何度か足を運び得意先から仕事をもらい利益を出す=得をする

これって普通に考えると

「損をしても得をするかわからない」に近いようですが

接待する側の意識とされる側の意識が大きく影響してきます

一般的には接待される側は下手に出るのが当然です

ただ、接待する人によっては「接待してやったんだから仕事くれよ」

なんて考えている人もいるのです

接待した人にばれないよう少しずつプレッシャーをかけて・・・

断れないように仕向けて仕事をもらうのです

こうなると接待=損を利用して利益=得を得る構図が出来上がります

これってなんかおかしいと思うんです

うまく伝わらないかもしれないですが

こんなことして仕事してもどちらも長続きしないと思います

得ありきの損ではなく

「損は損」、「得は得」と考えてほしい


書いててうまくまとまらない

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貧乏な善人と金持ちの悪人6

書くということは頭の中を整理するのに良い方法だと実感しています

貧乏な善人と金持ちの悪人・・・・

今回は自分で提起しながら答えが決めにくい

人として生きていく原則に善人は必要だろう

ただ、今の時勢を考えれば金は必要だ

善人や悪人の範囲も関係あると思うが

私個人は貧乏な善人で構わない

ただ、会社や家族の事を考えると一概にも言えない

今の時勢はお人好しでは生きていけないのである

自分が満足に生きていくだけの財力でもない限り

私の携わっている業界は金持ちの悪人が多いと思う

そうしないと残っていけないくらい厳しい業界だからだ

善人面した方々が自分の懐に入る事だけを考え行動しているのだ

ただ、現実にこういう人間が大金を持ち残っているこれも事実だ

ますます厳しい中を生きていくためには

こういう生き方も必要なのだろうとすら思えてしまう

私の近い人間も時代のうねりの中で大きく変わってしまった

私も立場を考えると安易にお人好しなどできないのかもしれない

でも、それは性分に合わない・・・

ぬるいことばかり言って今を維持できるとも思えない

日々悩む

善人ではいたいけどやっぱりお金は必要だ

金でしかなんともならない問題もある

私は都合がいいけど悪人面した善人でやっていきたい

心底悪人にならぬようブレーキをかけながら金を得ていく

そうやっていくしかそう考えていくしか

やっていけないだろうな

貧乏でも善人ならいいと心底言えない自分にも腹が立つ

書くことは良いが伝えることは難しい





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死に花は咲かせるべきか5

年齢が増して来ると死ってことを考える

私は「死」という行為自体にまだまだ恐怖があります

死に花は咲かせるべきか

私の答えは「いいえ」

私にとって死に花を咲かせるとは

世間や近くの人間に何かを伝える事や自分を表現することの

代償に死を受け入れる事

死ぬ前にひと花咲かせるとは受け止め方が違う

その行為自体≒死となる

死んで本当に解決できることなど何もないのだから

死んでまで伝えたかったことも相手にはその全てなど理解できないのだから

死ぬことよりも怖いことなど他には何もないのだから

死んだとしても堂々巡りは終わらないのだから

伝えたいことがあるのなら伝える相手を真剣に考える事

親だから先生だから警察だから先輩だから上司だから友人だからって

その全てが尊ぶべき相談すべき人間とは限らない

でも、絶対数は少ないとしても話をしたら楽になる人や

的確にアドバイスをくれる人、協力してくれる人もいるのだと思う

人間は弱いし脆い

皆が寄り添い力を合わせて生きるべきだ

自分に足りない事があるならそれを補ってくれる人と協力し合うこと

死して伝えるくらいならもっと他の方法があるだろう

これからの人間が死んでいくことは本当にもったいない

少々荒い文章申し訳ない


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8カットのピザと9人の空腹の人間4

半分って答えにならないんですが最近考えていることです

あるところに9人のお腹が空いた人間と8枚にカットされたピザがあります

8枚にカットされたピザを仲良く9人で分けることができるのか??

私の答え「現状ではできない」になると思う

それぞれの空腹状況も影響するし

ピザの大きさも関係があると思う

昔はLサイズだったピザも今はSサイズなのかもしれない

Lサイズのピザはちょっとずつ切ると

それだけで1人分ができただろう

少々の我慢だ

Sサイズのピザならタダでさえ少ないのだから

人に渡すのは躊躇するだろう

1切れのピザではお腹がいっぱいにならないかもしれない

他の人のピザまで食べてしまうかもしれない

そうしたら食べられなかった人間は空腹に我慢ができず

力尽きるか他の食べ物を探すだろう

他の人間達もいい匂いがするピザに群がるかもしれない

9人だった人間が何倍にも増えるかもしれない


ピザを仲良く分けられるほど

お腹の余裕がある人は何人いるのでしょうか


少なくとも私にはそんな余裕はないだろうと思います

抽象的な内容ですがご了承ください



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